秋田犬「定春」の華麗なる日常

ひょんなことから我が家へやってきた秋田犬「定春」の日常を綴ったブログです。

コラム「かわいそうのその先にある思考」

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今日の定春です、あ、日付が変わったから昨日の定春ですね。

この写真は僕の分身、つまりは娘が撮ってくれた写真です。いい顔納めてるでしょ~!目に入れても痛くない可愛い娘なのです。

さて、意味深な表題、自分なりの考えをここでまとめてみました。結構辛辣なことも書かせてもらってます。

  可哀そうだけで保護はするな!

僕の仕事はライターという仕事です。取材も行けば人と話もするし、批判した側もされる側もその立場に則って公平に判断して、言葉を文字に変える仕事を生業にしています。

さて、先日問題提起させてもらった記事、

 

www.akitainusadaharu.com

 上記はそれをまとめた記事ですが、ここ数日の間、保護をする立場の方からも、秋田犬を飼育され品評会に出す方からもいろんな反響をいただき、貴重なお時間を割いて貰って、ご意見を頂いております。

その中で先ず自分の立ち位置(ライターである立ち位置)の原点に戻り、この話を総括させてもらいます。

犬を保護して、次のオーナーさんに繋ぐ、この事自体は僕は必要なことだと思いますが、本当は不必要でなければいけないと同時に感じています。不必要でなければいけないのは、遺棄されるわんこがいなくなればいいわけで、オーナーがきちんと「犬を飼うということ」を理解し、命の尊厳をもって飼育を行えないといけないと考えています。なのでペットショップの生体販売には反対だし、遺棄するオーナーには憤りを感じえません。

次に保護をする立場が高尚で偉いと思っている方で、特定の団体や組織のあり方から否定される方、このような方も遺棄するオーナーと思考はたいして変わりないと、そんな風に感じてしまいます。

先のコラムの表題が「秋田犬が保護犬になる理由」ですから、過去記事の内容には絶対の自身をもって、疑問点を指摘しています。概ねその理由は指摘のとおりであると確信もしています。

しかし、特定の団体は別に不貞団体でも不正を推奨する団体でもなく、「秋田犬」という特定の種を保存し、その種を広く世間に知ってもらうことが理念で、今後も永続的に秋田犬という固有種を守ろうと努力されています。ただ、秋田犬の保護事業は行ってないのです。

品評会もその内容には賛否があるのですが、種の保存の観点から見ると正当性のある会だし、間違いなく日本犬の素晴らしいところを世界に広めている一端になっています。

なので保存会そのものを否定されるのは筋違い。否定をされるのなら遺棄するオーナーを特定し、品評会の主催者に報告する、これが筋です。

保存会そのものを会員さんと一括りにするから軋轢が生まれるのです。そこは理解して欲しいですね。

僕は定春をかわいそうだと思って引き取って飼っていません。ひと目見た時にその精悍な顔立ちと立ち振舞、少しマヌケなところに惚れたのです。

本音を言えばどんな親から生まれてきたのか?僕らの前ではどんな子だったのか?そこはライターとしての興味です。

つまりはかわいそうだからと引き取って、飼手も見つからないまま不幸に繋がれるよりも、命の期限を考えてやるほうが余程健全です。

その先にある責任を誰が取るのか?

秋田犬に限ると、性格が気難しく、なかなか新しいオーナーに懐かず、事故を起こしてしまう子も中には居ます。そのため、預かっている一時オーナーから次オーナーの手に渡り、その子がその家族と上手くやっていけるかは、保護した一時オーナーが責任を取るのだそうです。

上手く慣れたらその子は次オーナーの家庭犬になるけど、もし上手くいかなかったら、そっと命の期限を向かえさせてやるのだそうです。

僕はそれも人間の責任だと考えています。人間がわざわざ犬に産ませて、人間がその責任を取るのですから、当然ですよね。

それを可哀想だからと引取、餌の費用がどうにもならないからと寄付を募り、それで生きながらえる秋田犬は本当に幸せなのでしょうか?逆にそこに疑問を感じます。

人の金や時間を募ってしまうなら、それはもう破錠しています。まして不特定多数に訴えて、誰でもいいから引き取れと懇願するのは飼育の意味を履き違えています。

その先の責任を可哀想だという感情だけで動いては駄目なのです。

前に熊本の被災地で放棄された犬の現状をお伝えしたことがあります。

 

www.akitainusadaharu.com

 取材先が大分だったため電話取材でしたが、現状はしっかりと伝えました。ここは可愛い、可哀想だけで保護していません。そこにもちゃんと理念があって保護されています。

だから僕は書き続けるのです

もう一度言います。僕の仕事は書くことです。事実を公平に世に伝えることです。この表題にコラムとあります。気取りや副業でやってません、これでお金を稼いでいます。

秋田犬保存協会の会員さんの中には秋田犬を飼育、繁殖させ、品評会で好成績を納める目的で、それを生業にされている方も事実、居ます。しかし、それは秋田犬の姿形に惚れ込んでいるからであり、品評会に出せない秋田犬は家庭犬として引き渡すという会員の方がほとんどなのです。すなわちそこには「可哀想」という理念ではなく、「ありがとう」という理念で、まったく逆の思想なのです。でも立場は僕と同じ、ブリーダーとしてお金という対価を貰っている方たちなのです。

もうひとつ、僕は定春が好きです。はっきり言ってコイツほど面白い犬は居ないと思います。しかし、人より長く生きられないのも知っています。故に定春だけで、今のところはいいのです。

批判されている方、少しだけ犬の見方を変えてみませんか?

命の期限は今は人が下しても仕方ないとしませんか?

批判に使うエネルギーと時間を、日本人のペット意識向上のために使ってみませんか?

そんな風に感じます。だから僕は書き続けるのです。